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【終戦記念日】太平洋戦争の真実。多くの犠牲から我々は何を学んだのか?

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こんにちは、SHUANです。

昨日、8月15日は終戦記念日

この日になると、多くの戦争経験者の方は閉ざしてきた口を開き、哀しい記憶、戦争の悲惨さを後世に伝える努力をしているように感じます。

しかし現代の日本人、とくに若い世代の多くは戦争という日本の歴史について深く考えようとはしません。

いや、してないようにぼくは感じます。

あなたは日本の戦争という歴史について何を思いますか?

 

 

太平洋戦争とは

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太平洋戦争(たいへいようせんそう、英: Pacific War)は第二次世界大戦の局面の一つで、大日本帝国など枢軸国と、連合国(主にアメリカ合衆国、イギリス帝国、オランダなど)の戦争である。

出典 太平洋戦争-Wikipedia

 

太平洋戦争はなぜ起こったのか?

当時、満州国建国などで国際的に孤立してしてしまっていた日本は、同じく国際的に孤立しながらも第二次世界大戦で善戦していたドイツの勢いに乗ることにします。

1940年にはドイツと同じくファシズムに走っていたイタリアとも手を組み、日独伊三国軍事同盟を結びました。

 

これに怒ったのがアメリカ…

1941年11月、アメリカ国務長官ハルは最後の提案として日本に中国からの日本軍の撤兵、日独伊の同盟廃棄、中国の満州満州事変以前の状態に戻すことなどの条件を日本に突きつけました。

しかし日本としては到底飲める内容ではなく、1941年10月、首相に就任した東条英機は遂に真珠湾にてアメリカ海軍を攻撃。

これにより太平洋戦争が始まってしまいました。

 

太平洋戦争の終戦

最初の1年間は善戦していた日本も、1942年のミッドウェー海戦日本海軍は機動部隊の空母艦4隻とその艦載機を多数一挙に喪失する大損害を被り、この戦争における主導権を失ったと言われています。

 

そして1945年、広島と長崎に原子爆弾が投下。

東京、大阪、名古屋での大空襲、沖縄の地上戦等日本全土で多くの人が亡くなりました。

この状況に当時の首相鈴木貫太郎は御前会議を開きポツダム宣言による無条件降伏を受諾。

1945年8月15日正午、天皇陛下による玉音放送をもって終戦となりました。

この太平洋戦争での犠牲者は軍人230万人、民間人80万人にものぼります。

 

 

 

若者達はなぜ自命をとして国を守ったのか

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皆さんも知ってのとおり、太平洋戦争後半では特攻作戦が実施されました。

この特攻作戦では多くの若者が自ら志願して、その命をもって国を守ろうとしたそうです。

上の写真は神風特攻隊の出撃前にとられた写真。

死を前に、彼らはなぜ笑顔なのか。

一説では当時の洗脳により、天皇のために命を捧げることを名誉なことだと教え込まれていたとあります。

 

しかし、本当にそのような理由で自らの死を笑顔で迎えることはできるでしょうか。

これはぼくの持論ですが、彼らは写真を家族が見ることまで考え、笑顔で飛び立っていったのではないかと思います。

そのように仮定すれば、彼ら若者の多くが特攻隊へ志願した理由も、本土に住む家族がアメリカ軍による侵攻や空襲の危険に脅かされるのを守るためだと理解できるのです。

 

お母さん、私は後3時間で祖国のために散っていきます。

胸は日本晴れ。

本当ですよお母さん。

少しも怖くない。

しかしね時間があったので考えてみましたら少し寂しくなってきました。

それは、今日私が戦死した通知が届く。

お父さんは男だからわかっていただけると思います。

が、お母さん。

お母さんは女だから、優しいから涙が出るのでありませんか。

弟や妹たちも兄ちゃんが死んだといって寂しく思うでしょうね。

お母さん。

こんなことを考えてみましたら私も人の子。

やはり寂しい。

しかしお母さん。

考えて見てください。 

今日私が特攻隊で行かなければどうなると思いますか。

戦争はこの日本本土まで迫ってこの世の中で一番好きだった母さんが死なれるから私が行くのですよ。

母さん。

今日私が特攻隊で行かなければ年をとられたお父さんまで銃をとるようになりますよ。

だからね。

お母さん。

今日私が戦死したからといってどうか涙だけは耐えてくださいね。

でもやっぱりだめだろうな。

お母さんは優しい人だったから。

お母さん 

私はどんな敵だって怖くはありません。 
私が一番怖いのは、母さんの涙です。

これは18歳の特攻隊員がのこした遺書です。

ここにつづってあるのは紛れもなく、母親を思う息子の気持ち。

死に対してこれほどまでに向き合い、家族と国家を思う気持ちをもって潔く散る。

この様にして、多くの若者が犠牲になっていったのです。

 

神風特攻隊だけではありません。

人間魚雷の回天や飛行機爆弾の桜花などを含め、特攻によって亡くなった人の数は6000人を超えます。

その多くが未来ある若者だったということを忘れてはいけません。

我々は20歳前後の多くの若者から未来を託された日本人なのです。

 

 

生かされているという自覚

ぼくたちは戦争で亡くなった人々の犠牲の上に生かされています。

この事を絶対に忘れてはいけません。

皆さんには生かされているという自覚はありますか?

 

現代の日本人は死に対する恐怖は持っていても、生に対する考えが乏しいとぼくは思います。

我々が幸せに生きている日本を作ってくれたのは、多くの先代たちのおかげ。

それを感謝もせずにただぼーっと生きているだけでは申し訳ないと思いませんか。

 

我々の命は自分だけのものではないのです。

何のために自分は生きているのかをしっかりと考えなければなりません。

戦争当時、日本のために命をかけて戦った人々がいたからこそ我々はここにいます。 

だからこそ生かされていると自覚し、自らの命に対する価値をより深く考えることが大切なのではないでしょうか。

 

 

戦争から何を学ぶべきか

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よく「もう戦争を決してしてはならない」と言われますが、そんなことは当たり前。

ぼくたちは他にも多くのことを戦争から学ぶべきだと思います。

 

とくに自分の人生、生き方について深く考えることについては多くを学ぶべきではないでしょうか。

戦争当時の日本人は現代日本人にくらべて生きる力があったように感じます。

それは寿命など数字上のものではありません。

自分の人生について、死について考える力です。

今の平和な日本ではなかなか人生、死について考えるきっかけは少ないかと思いますが、この様なこと考えることのできる若者が増えれば、日本はもっと力強い国になることでしょう。

 

古くさい考えかもしれませんが、一人一人が武士道(自分の生きる道)をもって生きることが、今の日本には足りないと思います。

戦争なんて昔のことだからではなく、若い人こそ日本の戦争とから多くを学ぶべきではないでしょうか。

 

 

それではまた、アディオス!!